モンスター・ファンがAKB48を喰い殺す

(過去に書いたがアップしていなかったもの。先日のチームBメンバーを巡る一件と、研究生公演でのアンコールなしの一件に思うところがあったので掲載する)


サンシャイン栄でのイベントはまるで悪夢だった。結果的に、SKE48の宣伝になるどころか、AKB48はとんでもないファン抱える問題グループと認識されてもおかしくない、悪しき喧伝になっていた。誤解を恐れないで指摘すれば、各地から乗り込んだ熱心なファンと称する一部の人々のマナーが最悪だったのだ。

運営側にも幾つかの不手際があった。まず予測の甘さがあった。スタッフでカバーできる人数を超える人々が集まったことで、現場が混乱していた。つぎに連絡の不徹底。スタッフの間で情報が食い違うという、一部に混乱を招く状態があった。一部の人々をアンコール前の暗転で帰してしまったり、握手会に関する間違った情報をアナウンスしていた。気付かなかったこのほかにもきっといろいろなことがあっただろう。

熱心なファンという「モンスター」の誘導を、スタッフは体験したことがなかったというのもあるだろう。それでも、ほとんどの参加者は、混乱が起きてイベントが中止になったら、駆けつけて並んだ努力が水の泡になるという自制が働くのか、特に問題を起こすようなことはしない。それが集団を維持する自助機能でもある。

しかし、中止になればなったで、勇んで補償を要求するような人々は違うようだ。一部のファンの因縁の付け方など、ヤクザ顔負けだった。大声で会場スタッフを恫喝する声が、名古屋の街をゆく通行人の足を止めていたのを見て、この時点で、宣伝になるどころか、マイナスにしかならないことを確信したほどだ。

そして、残念ながら、仕切りの拙さにつけ込んで「なんでもあり」にしてしまう集団もあった。それも『48現象』で登場する有名なファンを含む集団である。運営側の戸賀崎劇場支配人を囲んで直接情報を引き出せるような「常連」と呼ばれる人たちだ。彼らの行動はとにかく醜かった。家族連れや、はじめてAKB48を見に来た女性たちの前で、罪悪感もなく列の横入りをしてみせたのだ。常連の風を吹かして、我が家でふるまうような余裕のあるふりをしながら、素人を押しのけて、素人以上に必死に立ち回る姿は滑稽ですらあった。

以前、「応援」の名の元に繰り広げられる乱痴気騒ぎに触れた。これが、今回はそのまま歩道へ続く屋外の公共空間で行なわれてしまった。そもそも、自己満足のオタ芸を、どうして応援などと言えるのだろうか? 歌に被せて大声で叫ぶことは、周りの人々の聞く権利を侵害する行為だ。劇場内のように、共犯関係であるファン同士にのみ許容されることが、ファンだけではない公共空間で許されるはずがない。タリーズコーヒーの入口前で、階下に置かれたモニターを見ながら、大声でオタ芸を繰り広げていた集団は、威力業務妨害罪として訴えられてもおかしくなかった。しかもそれは、イベント開始前に流されていた『僕の太陽』公演のDVD映像から、延々と続けられていた。特設された地下広場会場ではない一般通路での観劇は、通行人に迷惑のかけない範囲で行なうのが望ましいはずだ。大声で叫び踊るなど迷惑以外の何者でもない。

そもそも、何かを「応援」すると称する行為なら、それは自己顕示欲の誇示であってはならないはずだ。行き過ぎた応援は、足を引っ張るだけだ。押しつけの「愛」ほど迷惑なものはない。個々人ではおとなしいのに、群れたがり、馴れ合いたがり、そして集団になればなるほど、秩序を失っていく。大の大人が数にものを言わせて、このやり方が正義だとうそぶく、衆愚の最たるものである。

このモンスター・ファンたちの消費者意識の暴走が、AKB48を喰い殺す日が近づいているように思える。中でも、アイドルファンを自称するやっかいなピーターパンたちには気をつけなければならない。彼らにとっては、AKB48がなくなっても、また別の若くて何も知らない女の子を求めて徘徊すればいいだけである。しかし、彼女たちは、やっと掴んだ夢へのチャンスを台無しにされるのだ。ブログやネットによるクレーマー的反応がどうであろうと、運営側はもっとはっきりと一線を引いて秩序を作り上げるべきだし、明確な意志と身体を張って、彼女らとAKB48を守ってやらなければならない。

そして、常連たちは自らを省みて、新しくやってきたファンの「悪しき実例」にならないようにしてほしい。新規ファンのマナーを嘆く前に、彼らは先人の背中を見て学んでいるのだということを思い出すべきなのだ。「初心を忘れずに」を繰り返すのは、メンバーだけではなく、我々ファンもである。一部の悪しき常連と、それを野放しにする戸賀崎劇場支配人ら運営側に、猛省を促したい。