あの日のAチーム、明日のチームA

チームAの大江朝美駒谷仁美戸島花中西里菜成田梨紗ら5人の卒業が発表された。AKB48黎明期からの古参メンバーだ。
学校と同じく、三年間の在籍をめどに、もしくはハタチを目安に結果を出せなかった者が卒業、というのが、AKB48におけるひとつの見えないルールとして存在しているのかもしれない。決断までには各々の理由があるだろうが、選抜に縁のなかった者たちは、それぞれの目標を叶えるために、そろそろ次の進路を選ぶタイミングを計っていたのだろう。年長組の川崎希佐藤由加理は、同じように伸び悩んでいたように思えたが、グラビアで結果を出して踏みとどまったように見える。AKB48の看板を背負って、AKB48以外の場所で活動する、つまりAKB48とそのメンバー双方にとって有益な関係である限り、卒業はないと見てよさそうだ。

今回の卒業は、気心の知れた5人の仲良し組が、手を取り合って幸せな幕を引いたと言えるのかもしれない。思えば井上奈瑠の卒業は唐突すぎた。本人が選んだことなのだろうが、別れを惜しむファンを遠ざけるような卒業当日の発表。その裏には、ファンとの幸せな関係を築き上げられなかった無念さが、色濃く滲んでいるように思えてならない。謝恩会を開きたいという5人は、たとえAKB48の中で次のステップへ進めなくても、AKB48として、またアイドルとして、間違いなくファンに愛されていた存在だった。そういう意味で、幸せなキャリアを積めたと言っていいかもしれない。

集団としては、至極まっとうな細胞組織の代謝だが、AKB48劇場の距離感に慣れてしまうと、目の前から姿を消すという喪失感は、ファンにとってはかりしれない。しかし、魔女狩りのように、誰かのせいにして、この世の終わりのように騒ぎ立てるのは間違っている。世代交代を促す研究生の登場を、必要以上の喝采を持って迎えたのは、誰ならぬ我々ファンだからだ。「推しメン」などの言葉を使い、嬉々として特定の誰かを贔屓している以上は、その贔屓の結果が招いたこの結果を受け入れなければならない。ファンの総意が出した結論でもあるのだ。上記の5人にとって、AKB48という場所では、残念ながら自分の夢を推してくれる人と巡りあえなかった。このことが、すべてだろう。メンバーも、年功序列で厚遇するような世界に居ないことは、もとより理解しているはずだ。それでも一部の頑張っていた者へは、AKB48以外の場所で活動できるよう、事務所移籍という形で報いている。

いつか誰しも、居慣れた場所から次の場所へ旅立っていく。両親の元や、学校や、会社や、そしてAKB48から。誰の元にも平等に時は過ぎる。忘れてはならないのは、AKB48は、夢を叶える保証をしてくれる場ではないということだ。彼女らが自分の力で夢を叶えるための、ただのワンステップ、踏み台なのだ。
SKEの始動とともに、AKB48の歴史にひとつの区切りがついた。こうして、あの日の「Aチーム」ではなく、明日の「チームA」と変わっていくのだろう。しかし、彼女らが放っていた輝きは、我々ファンの記憶の中で、色褪せないはずだ。今は清濁と寂しさを飲み込んで、自らを省みながら、彼女らの決断の行方を見守りたい。