総共有時代の新曲リリース、すべては劇場へというシナリオ

AKB48の新曲が、NTTドコモ系列のサービス限定の配信でリリースされた。知人の携帯を通じて見せてもらったが、なるほど面白い試みである。携帯の小さい画面を、大の男が複数で覗き込んでいるという不思議な図だったが、その共有したわずかな時間を、自分が見つけた面白いもの、あるいは宝物を、見せあって分かち合うような、懐かしく新鮮なコミュニケーションとして楽しんだ。中高生が学校で、漫画雑誌のグラビアを「つきあうなら、この子」と他愛のない会話をしながら見ているような感じだろうか。実際のところ、AKB48の携帯動画を見ながら、学校でそういう光景が繰り広げられているかもしれない。

残念ながら、CDが何百万枚も売れる時代は過去のものになった。今は各社が配信に場所を移してミリオンを競う時代である。わざわざ書くまでもないが、携帯電話や、iPodをはじめとする携帯音楽プレーヤーで音楽データを持ち歩く現代は、最初からデータになっていたほうが便利である。その変化に伴って、CD売上げの内訳も、PVのDVDや、封入物などのオマケ付きのものが売れるだけに変わってしまった。CDがオマケになるという、本末転倒な状況になって久しい。
これはAKB48においても例外ではないはずだ。握手会のチケットに成り下がったCDは、物理的にもコストとしても積み上がっている。さらに、熱心な一握りの層が、オマケ目当てに複数枚買っているという状況は、CD売り上げ=人気という指標とならない難しさを生み出している。もはや、CD市場が示すデータは、出荷数は言えても、売れたとか、人気が出たとか、浸透した証明にはならなくなっているのだ。

それで、AKB48が打った手が、携帯からの配信である。考えてもみると、AKB48がターゲットにする若年層において、ほとんどの人にとっては、CDショップへAKB48のCDを買いに行くより、PCでAmazonへ行き、何度かクリックして買うほうが楽だと思っているはずだ。同じように、PCでナップスターを体験してみるのも簡単だ。さらに言えば、PCを立ち上げるよりも、手元にある携帯で、配信を買うほうが敷居がもっと低くなる。かつて経験した懐かしい自意識を思い出せば、少しわかりやすい。ミーハーなCDをCDショップで買うことは、エロ本をコンビニで買うことと同じくらい抵抗がある年頃の話だ。もちろん、もっとお手軽な動画共有サービスの利用や、最初にあるような、友達と一緒に携帯を覗き込むという方法もあるだろう。

しかし、AKB48はミリオンを狙って、新曲の携帯配信をはじめたわけではないはずだ。携帯最王手キャリアとの縁を大事にしながら、独占配信で義理立てしつつ、ドコモ携帯新機種の潤沢な販促資金を使って、AKB48そのもののプロモーションができるからだろう。もちろん、CDで新曲を出す場合と、比較にならない効果が望めるという、したたかな判断にほかならない。ここから見えてくるのは、AKB48のすべてのプロモーションは、過去のように、CDを売ってレコード会社を儲けさせるための手段ではなく、劇場に来てくれる人を増やすための手段と、割り切って考えられていることだ。だから、いつも・どこでも・誰でも持ち歩いていて浸透している、携帯電話が主なターゲットなのだ。

そこからのシナリオはあっけないほど簡単だ。携帯の小さい画面で興味を持った層が、やがて深夜のテレビ番組で見るようになる、そして、観光地と化した秋葉原に行くついでに、劇場で生で見たくなる。メール抽選でもあり、ほぼ毎日公演している「会いにいけるアイドル」だから、最後まで敷居は低く設定されている。そして、あの距離で対峙する力を劇場で体感するのである。
さらに、その力と距離感がそのまま、見に行った人が、興奮や面白さを伝えたい相手との近さとなる。その近さは、ブログのクチコミや、動画共有サービスのコメント、掲示板の評判、マスコミの扱い、そのほか全てをひっくるめた、どんなものより強い説得力を持っているはずだ。大きな会場で公演をする、あるいは、矢継ぎ早に新曲を出す手法ではなく、同じような近さで見られる場所を、まず秋葉原以外に作るという選択肢を選んだのも、そのためなんだろう。リアルな体験こそが、人を動かす究極的な原動力になるからだ。

ただし、携帯会社が囲い込んでいるビジネスモデルに乗れるのも、あと少しのことだ。今回は、ほかのコンテンツホルダーとともに、AKB48NTTドコモの実験に付き合っているという形なのだろう。コンテンツの整備で、高くなっていく携帯端末の機種変を呼び込めるかという試みだ。
iPhoneをはじめとするスマートフォンの時代はすぐそこまで来ている。通信端末の変化により、やがてiモードは消え去っていく。AKB48は選んできたパートナーを再考する時が来るかもしれない。そのための布石は、名古屋進出の影に見え隠れしているようだ。いずれにせよ、そのときにもAKB48はしたたかな手を打つだろう。そうした次の手を想像するのもまた、AKB48の楽しみ方のひとつかもしれない。