研究生公演という「冒険」から見えてくるもの

先日の研究生公演は、予想通りの盛り上がりを見せたらしい。なかでも、古くからAKB48を見守ってきた層の、継続を望む熱い反応が目立つようだ。半数近くのメンバーが休演する公演を行ってきた、現在のチームAの状況を憂いてきた層だろう。研究者公演決定の休演者ボーダーラインは8名だろうか、かねてからメンバーの休演対策を考えていた運営側も、半数近くが仕事や病欠で休演するタイミングを選び、今回のような決定をしたのだろう。その柔軟な決断を歓迎する一方、告知タイミングの危うさから、批判に晒されるスタンドプレイぎりぎりの賭けでもあった。しかしこれは、盛況の結果を残したことから、ファインプレイと賞賛されたようだ。
その結果による継続を望む声であろう。中には「誰が公演していても満席になるから研究生でもいい」という強気な声も聞こえるが、これは先日の女性公演が半分空席だったという事実から目を逸らしているように思える。確かに、誰が公演していても、毎日のように劇場へ通う一部の層もあるだろう。しかし、その狭い層を相手にしていていいのだろうか?先細りの縮小再生産という、不毛なループに陥らないためには、ファンの裾野を広げることが大切である。

だから、研究生公演はあくまで、四半期に一度など間隔を空けたものや、あくまでコアな層のファンサービスで行う、FC限定のイベントに留めておくべきだろう。理由は単純だ。メディアでAKB48のメンバーを知り、劇場に足を運ぶ新規のファンは、メディアで知ったメンバーを目的に見に行くからだ。それこそが「会いにいけるアイドル」という、失ってはならないコンセプトのはずである。やっと全国展開のメディアの露出も増え、AKB48が当初の狙い通りに回りはじめた昨今、休演メンバーが多く、やりくりが大変だからといって、「会いにいけるアイドル候補生」であってはならない。それに、研究生公演は、今回のように急なものではなく、慎重に準備されたものであることが、研究生にとっても望ましいのではないだろうか。

研究生公演のメリットは、研究生が劇場で公演を「通し」でできること。しかし、それ以外のメリットが、彼女らにとってあるのだろうか?
「自分たちを見てくれない」チームの中で揉まれ、磨かれていくのと、はじめから研究生を目当てにした層を相手をするのでは、晒される厳しさが違い、試されるものが違うだろう。研究生グループの中で結果を出すことも必要だが、その上で、チームの公演に出て、目を引く力を発揮してはじめて認められる。そうでなくてはならないはずだ。
厳しいシステムかもしれないが、正式メンバーと研究生、一軍と二軍、推しと干され、世代の新旧があるから劇場は文字通り「劇的」なのだ。上を目指して努力する。下からの突き上げを跳ね返す。この上下の境は、はっきりと線引きしておかなければならない。舞台での扱いも、当然それに準ずるもののはずだ。それこそが、研究生公演のような、ある種の「理解のある身内相手の公演」ではなく、研究生の成長に必要な「必要条件」なのではないだろうか。

現状でも研究生に機会は与えられている。正式メンバーのメディア出演で空いた穴に、これからも出番は与え続けられるだろう。研究生のメディア出演という希望の芽も出てきている。これは代役で出たときに関係者の目に留まった可能性が高い。そういうような、メディアを介した認知度の下克上もありうるのだ。そんな中で、研究生としてくすぶり続けるようなら、残念ながら、その研究生のAKB48でのキャリアはそこまでなのだろう。認めさせ、引導を渡してやるのも、また違う新しい場所での一歩を踏み出させるきっかけになるはずだ。そして、それがAKB48という場のためでもあり、AKB48をステップに人生を生きていこうとする、彼女らのためなのだと信じている。